今から95年前の9月1日に発生した関東大震災にちなみ、約60年前に制定されました防災の日ですが、恥ずかしながら今日まであまり意識せずに過ごしてきました。
本日歯科医師会の活動で地区の防災訓練へ出動する機会を得て、改めて災害時の大変さというものを垣間見ることができたように思います。
そもそもこの防災訓練は、役に立つようなことが無い方が良いのです。ですが世界的にみても自然災害の多い我が国では、やはり常日頃から備えておく必要があります。
とはいえ頭ではわかっていても、皆日々の生活に忙殺されてなかなか非日常に意識を向ける余裕は、作らないと意外とありません。
そこに実地を兼ねた訓練を継続的に行う重要性があると感じました。
例えば今回学んだトリアージ(大事故・災害などで同時に多数の患者が出た時に、手当ての緊急度に従って優先順をつけること)1つをとっても、ドラマの印象が強く基本的に医師が行うものだという認識でしたが、医師以外が行うことが重要であると知りました。
最初はどこまで手を出していいものか周章狼狽しておりましたが、災害時、医師の方はとにかく多忙を極めるので、もちろん医師の監督下が望ましいですが、それがかなわない時は自分の判断で自分のできる最善を尽くすほかありません。
また、机上の議論では気の回らなかった実際的な医療機器の有無や数、その期限なんかもいざ使おうとすると初めて気がつくことが多いです。
人間は忘れる生き物です。
私は口腔外科での研修から約10年経ちますが、知識もそうですが救急救命の逼迫した空気感も驚くほど抜け落ちていました。帰ったら口腔外科の教科書を本棚の隅からひっぱり出さなくてはと、訓練中に思いを巡らせもしました。
偶然ですが防災訓練の数日前、深夜1時に自宅マンションの火災報知器が鳴り響き、マンション中の住人が避難し、消防車5、6台が出動する大騒ぎが起きました。
結果、センサーの誤作動だったわけですが、自分はというとお恥ずかしい話防災バックの用意もなかったので取るものもとりあえず、仕事カバンと子供を抱えて階段を駆け下りるので精一杯でした。
このように災害というのはいつ自分の身に降りかかるのか分からないものです。防災の日を良い契機とし、その視点で身の回りをもう一度見直してみる機会としてみようと思います。